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下鴨神社|鴨の七不思議”烏の縄手”

京都の下鴨神社の境内には「鴨の七不思議」といわれる場所があり、今回紹介するのは”烏の縄手(からすのなわて)”です。

”烏の縄手”を紹介しようと思ったのは、下鴨神社境内の「馬場」で出会った一羽の「カラス」が「紅葉橋」に案内してくれたからです。

このカラスと出会った場所は「馬場」で、ラグビーの神様が祀ってある「雑太社(さわたしゃ)」の前。何か語り掛けてくるような感じのするこのカラス、近づいても逃げません。それどころか、私の顔を見ながら道案内をするようにチョコチョコと歩いて行くのです。私が立ち止まると振り返り近くに来るのを待っているようでした。
下鴨神社にはラグビーの神様が祀られている
糺の森の馬場を歩いていると、ラグビーボールを模った賽銭箱!?世界のラガーマンが訪れた、日本ラグビー発祥地。
そして連れていかれたのが「紅葉橋」でした。紅葉橋からの水景が奇麗だったのでしばらく見とれているとカラスは飛び立った気配もなくいなくなりました。
紅葉橋から瀬見の小川を撮影
その時は「変わったカラスだな?近くで見ると真っ黒で光っていて、思っていたより奇麗な鳥!」と思っていました。
「鴨の七不思議」の一つ”烏の縄手”を知ったのは、その後の立札を見て知りました。
不思議な体験です。
ひょっとして、さっきのカラスは「ヤタガラス」で、御神祭の賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)の化身!?だとしたら何かとんでもない良い事が起こりそうな気がしてきました。

烏の縄手とは

立札には、下鴨神社御神祭「賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)」の別名が「ヤタガラス」。縄手とは細く長い道のことで、神様(ヤタガラス)にお参りに行くための参道と書かれているだけで、なんのことやらよくわかりません。

下鴨神社に伝わる「ヤタガラス」

御神祭の「賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)」とは、日本神話に登場する神様で、『古事記』や『日本書紀』には、カムヤマトイワレビコ(のちの神武天皇)が東征の途上、天から遣わされたヤタガラスの道案内により熊野・吉野の山中を行軍したということが記されています。

要するに、神武天皇が「熊野」から「大和」にはいる際に、加茂建角身命が「ヤタガラス」となり先導(天皇の使者として大和の豪族を降伏させた、など)したということです。

ヤタガラスは日本サッカー協会のシンボル

少し余談です!

「ヤタガラス」は、『古事記』では「八咫烏」、『日本書紀』では「頭八咫烏(ヤタノカラス)」と表記され、足は3本、大きさが8尺(2.42424メートル)もある大きな烏といった説もあります。氏

日本サッカー協会(昭和31年)のシンボルになったのも、日本でサッカーを広めた「中村覚之助」氏にちなんだマークにしようということから、出身地(熊野の浜ノ宮)に伝わる神武天皇の伝説から生まれたそうです。

泉川の浮き石

ヤタガラスに参拝する際は、細く長い参道(縄手)を通る必要があり、下鴨神社には糺の森の木の間を分けて、幾筋もの細い参道がありました。

その一つの道が「紅葉橋(もみじばし)」を通る道で、橋のたもとには雨乞いの社である「こがらし社」があったそうです。

願いが叶って雨が降ると、泉川の小石がはねると伝えられ「泉川の浮き石」といわれるようになりました。

鴨の七不思議”烏の縄手”をまとめると

  1. 下鴨神社に祀られている「賀茂建角身命」は「神武天皇」を先導するために「ヤタガラス」に姿を変えた。
  2. 下鴨神社の御神祭「賀茂建角身命」は、別名「ヤタガラス」と呼ばれ、長く細い道(縄手)を通らなければ参拝出来ない。
  3. 参拝に向かう道が「烏の縄手」と呼ばれ、その一つの道が「紅葉橋」を通る道であった。
  4. 「紅葉橋」のたもとには、雨ごいの社「こがらし社」があった。
  5. 雨ごいをして願いが叶うと泉川の小石がはねた。

鴨の七不思議はいくつかの不思議な出来事を集めたことのようですね!

私を導いてくれた烏は、何かを伝えたかったような気がしてなりません。この先、良い事が起こることを期待してまた参拝にいこうと思っています。