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芸道上達の御利益があるという京都新京極「誓願寺」の節分会

京都市内の繁華街、新京極六角にある誓願寺(せいがんじ)は、能楽「誓願寺」の舞台になったお寺であり、落語の発祥の地として知られている、芸道と深い関わりのあるお寺です。

境内には「扇塚」があり、扇を奉納すると芸能上達の御利益があるとされています。また、清少納言、和泉式部、松の丸殿(豊臣秀吉の側室)といった女性たちが帰依したことから女人往生の寺ともいわれています。

seiganji-temple

芸道上達の利益があるといわれるだけあって、誓願寺の節分会では「僧侶舞」「長唄」「日本舞踊」の奉納が行われました。

お寺の山門(入り口)が新京極(京都の繁華街にある有名なアーケード)に面しており、節分会当日は、三味線や太鼓の音につられて次々と人が集まってきます。

入場は無料となっていますが、会場となっている本堂の座席が限られているため、本堂の入り口で立ち見している人が多くいらっしゃいました。

節分会|節分祈願

節分会2月3日のスケジュール

午前10時~12時 大般若転読会 厄除けの祈祷(1件/200円)
午後1時30分~ 踊り・長唄の奉納 僧侶舞「紅葉の連」、長唄「勧進帳」、日本舞踊「元禄花見踊り」
午後2時から 扇塚法要 使い古した扇を持っていくと供養して頂けます。
午後3時~4時 大般若転読会  

※「踊り・長唄の奉納」のあと、「豆まき」の代わりにハンカチ撒きが行われます。

本堂(節分会の会場)

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本堂に入りきれない人たちが入り口付近で写真撮影(お寺から「写真撮影は自由」とのことです)

僧侶舞「紅葉の舞」

monk-dance
僧侶による舞踊は珍しい。

長唄「勧進帳」

nagauta
長唄には、「お座敷長唄」や「歌舞伎芝居の歌曲」などがあり、「勧進帳」は歌舞伎十八番の一つです。

扇塚法要

扇塚
oogizuka

法要
prayer

芸能上達の祈願

line-up- fan
扇に芸道に関する願い事を書いて祈祷してもらうと成就します。(達成したいと願う気持ちは大切です)

浄土宗西山草津派 総本山 誓願寺

誓願寺(せいがんじ)

宗派:浄土宗西山深草派(じょうどしゅうせいざんふかくさは)
総本山:京都 新京極 誓願寺(せいがんじ)
所在地:〒604-8035 京都府京都市中京区新京極桜之町453 (新京極通り六角下る)
山号:深草山
本尊:阿弥陀如来

  • 新西国三十三カ所第15番札所
  • 洛陽三十三所観音霊場第2番札所

誓願寺は667年(天智天皇6年)、天智天皇の勅願により奈良に創建されたのですが、鎌倉初期に京都の一条小川(現在の上京区元誓願寺通小川西入る)に移転し、1591年(天正19年)豊臣秀吉の命を受けて現在の新京極に移されました。

新京極に移転する際に土地を地提供したのが京極竜子(豊臣秀吉の側室であった松の丸殿)とその生家の京極氏であり、当時は6500坪もの敷地をもつ大きなお寺でしたが、1872年(明治5年)から始まった新京極通の整備で、4800坪余りの寺地が公収されたため現在の狭隘な敷地になったのです。

その後、多くの火災に見舞われ、現在の鉄筋コンクリート造の本堂は1964年(昭和39年)に再建された建築物です。

ご本尊の阿弥陀如来坐像

天智天皇の霊夢(お告げ)によって造立されたとされる阿弥陀如来坐像は、残念ながら度重なる火災で焼失しまい、現在本堂の奥に祀られている阿弥陀如来座像(4.85m)は、京都府八幡市の石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)に八幡神の御本地仏として安置されていた坐像が移安されたもので、平安時代後期の定朝様(じょうちょうよう)で鎌倉時代から南北朝時代の頃に作られた坐像だとされています。

能楽に「誓願寺」という曲目がある

能楽に、一遍上人(いっぺんしょうにん)と和泉式部の尊霊が主役となって誓願寺の縁起と霊験を物語った「誓願寺」という曲目があります。

能の大成者である「阿瀬見(あぜみ)」の作と伝えられる謡曲「誓願寺」の舞台となっているのが、まさに「京都 新京極 誓願寺」で、一遍上人が「南無阿弥陀仏」の名号を書いて本堂に掲げたところ、歌舞の菩薩となった和泉式部が現れ、そして天智天皇の勅願によって「誓願寺」が創建されたという物語です。

この物語が、能楽や舞踊など芸能の世界で尊崇され、「誓願寺」は芸能上達の御利益があるお寺といわれるようになり、さらには「誓願寺の和泉式部信仰」というものも生まれたそうです。

落語は誓願寺の僧の説法が発祥だった

落語は、誓願寺の安楽案策伝(あんらくあんさくでん)という僧の説法が発祥とされています。

安楽案策伝は1613年(慶長18年)に京都誓願寺55世(浄土宗西山深草派法主)となった高僧で、笑い話が得意で説法にも笑いをとりいれていたそうで、当時の京都所司代であった「板倉重宗(いたくらしげむね)」の依頼により笑話集のさきがけとなる「醒睡笑(せいすいしょう)」を書き上げました。

「眠りも覚ましてしまうほど笑える」という意味で命名された「醒睡笑」は、庶民の間でも広く流行し、後の咄本(はなしぼん)や落語に影響を与え、落語の教本といわれるようになりました。