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北天満宮の本殿前にある中門は三光門と呼ばれ、慶長12年(1607年)に豊臣秀吉が建立したと伝えられる重要文化財です。
後西天皇が書いた「天満宮」の額が掲げられた三光門は「星欠けの三光門」ともいわれ、北野天満宮の七不思議の一つとされています。
三光門には「太陽」と「月」の彫刻が施してあるのに「星」の彫刻がないために「星欠け」といわれているのですが、南側の参道からは門の真上に輝く北極星を見ることができ、これらを合わせると太陽・月・星の三光が完成します。
三光門の天井の中ほどに掛けられた梁の中央南北に施された「太陽」と「月」の彫刻
太陽の彫刻
月の彫刻
三光門の「三光」とは、「太陽・月・星」の三つを特別なものとして尊び崇める「星辰崇拝」とういう信仰が由来で、この門の場合は太陽と月の彫刻と自然の天体である北極星を重ねて完成させています。
三光門の夜景
三光門の真上に輝く北極星をひとめ見ようと、快晴の日に北野天満宮に出向き、閉門ギリギリの時間に、門の南側から空を見上げたのですが、参道を照らす提灯が明るすぎて星がまったく見えませんでした。
あいにく、三光門の真上に輝く北極星を見ることはできませんでしたが、参拝客がだれもいない静けさの中、参道を照らす提灯と三光門は非常に美しく別世界に入ったような感覚を覚えました。
通常は午後5時で閉門になるのですが、毎月25日の縁日は午後7時まで開門しているので、この風景を見たい方は縁日の夕刻に参拝してみてください。
なぜ三光門に星の彫刻を刻まなかったのか
南から三光門を見ると北極星が門の真上に輝くといった工夫は粋な考え方ですが、実は門には星も刻まれていたという説や、そもそも太陽と月だけを信仰したのではないかといった説もあります。
一般的に語られているのは、平安時代の大内裏から、天皇が北の方角にある北野天満宮を拝んだ際、三光門の真上に北極星が輝いていたために星を刻まなかった、という説です。
しかし、これには異論があります。というのも平安京時代の大内裏の位置は、北野天満宮の真南ではなく南南東であるため、大内裏の敷地内から三光門を見ても北極星と重なることがないからです。
大内裏(だいだいり)とは平安京の宮城(天皇のとその周囲の官庁一帯)のことで、平安宮とも呼ばれています。
太陽と月を信仰するというのは、日本神話に登場する「天照大神」を太陽、「月読命」を月として崇めたのではないだろうかという説です。
古事記、日本書紀によると、日本を生み出した伊邪那岐命の禊(水浴)から生まれた三貴神である天照大神が「太陽の神」で、月読命が「月の神」とされています。
まとめ
今回は北野天満宮の七不思議の一つとされている、三光門(星欠けの三光門)を考察してみました。
不思議といわれる理由には諸説ありますが、一般に信じられている平安京の大内裏から三光門を見ると真上に北極星が見える、といった説には無理があると思われます。
しかし、本殿に向かう南参道から三光門の方向には、間違いなく北極星があります。そして、松明やロウソクの灯の時代では、参道から見上げる三光門の真上に北極星が輝いていたのがよく見えたのは真実に違いありません。