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今宮神社“やすらい祭”2022年は中止!

今宮神社のやすらい祭は、上野やすらい会と関係者だけで神事が斎行され、残念ながら去年と同様に、地域を練り歩き巡幸は中止になりました。

快晴の空の下、境内では午後1時30分~3時までの間は参拝を制限して神事が執り行われました。
※ やすらい祭の日が天気であれば、今年の京都で行われる祭はすべて天気が良くなると言われている。

神事は例年通り、赤毛と黒毛の鬼が太鼓と鉦を打ちながら、笛のお囃子に合わせて踊り、疫病鎮静を祈願しました。コロナ収束の願いですね!

本日の神事は、「あぶり餅」のある東参道での奉納踊で終了。その後「花笠」も片付けられました。やすらい祭の花笠は、中に入ると1年間を無病息災でいられるという言い伝えがあり、家族そろって毎年、御利益に授かっているのですが、今年はだれも入ることができませんでした。

今年の様子をYouTubeに投稿しています↓↓

↓↓は2014年のやすらい祭の様子。この年は重要無形文化財の「やすらい花」を、大徳寺の法堂で行われた「音善法要」や大阪歌舞伎座で披露した記念すべき年でもあり、海外メディアでも取り上げられています。

やすらい花|重要無形文化財

やすらい花は1987年(昭和62年)1月8日に重要無形文化財に指定されています。

【保存団体】

  • やすらい踊保存団体連合会
  • 今宮やすらい会,
  • 上賀茂やすらい踊保存会,
  • 川上やすらい踊保存会,
  • 玄武やすらい
  • 踊保存会

やすらい花は、京都市の紫野や上賀茂など洛北の四地区に伝承され、春の桜花の季節に、花を飾った長柄の風流傘をおしたて、行列となって巡回し、笛と歌の伴奏に囃されながら、シャグマを冠った異装の者が、鉦・太鼓を打ちながら、町の辻々で踊りをくりひろげるものであり、今日、日本の各地で行われる「風流【ふりゆう】」の典型的な一つである。

やすらい花の名称の由来は、踊歌の囃【はや】し詞【ことば】から名付けられたもので平安時代末期に名称がみえ、歌詞も記録されている。

やすらい花は、疫神を鎮める祭りであり、鎮花祭【ちんかさい】(はなしずめの祭り)の意味あいももっている。鎮花祭とは、春の花が飛散する時、悪霊や疫神も共に飛び散って人々を悩ませるという言い伝えから、この時期に疫神を鎮めるために行われるようになり、後に次第に風流化し、人々は踊り狂いながら神送りをするようになったもので、稲の花が早く飛び散らないようにという農耕の予祝行事の意味あいも加わったとされる。

現在、地区によって公開される日が異なるが、もとは三月十日(明治の改暦後は四月十日)に、各地区から行列を組み、町内を練りながら今宮神社(京都市北区紫野今宮町)に巡行していた。今宮神社は、疫神を祀ったことに始まるとされる神社で、今宮やすらい会は、現在でも同神社に巡回しているが、他の三地区は立ち寄らず、それぞれの場所から神社を遥拝し、踊りを奉納するなど、かつての形態を継承している。各伝承地区で行列の構成等に多少の違いはあるが、大ぶりの傘の周囲に緋色の布を垂らし、傘の頂部に生花を挿した花篭をのせた、いわゆる風流傘(「傘ぼこ」、「花傘」)、白小袖、白袴の上に緋色の打掛をはおり、頭にシャグマを冠った四人の踊り手(「鬼」、「大鬼」と呼ばれ、このうち二人は鉦を、他の二人は太鼓を持つ)、緋色の振袖に袴をはき、シャグマの上に烏帽子をかぶり、胸に羯鼓【かつこ】をつけた二人の子供(「かんこ」、「かんこもち」、「小鬼」)、歌い手(「音頭」、「音頭とり」)、笛、囃し詞の役の多数の人々(「太刀持」)などで構成され、地区内の小祠【しようし】や定まった場所、あるいは希望する個人の家の前などで、歌と囃し詞、笛を伴奏に四人の踊り手がシャグマを振り乱し、鉦・太鼓を打って激しく踊り狂うもので、その芸態や構成など我が国の芸能の変遷の過程を示すもので貴重である。

引用:国指定文化財等データーベース(文化庁)

今宮やすらい

今宮神社の社地には平安建都以前より疫神(えきじん)を祀る社があったとされ、その疫神を二基の神輿(みこし)に齋い(いわい)こめて船岡山に安置し悪疫退散を祈っていたそうです。

これが紫野御霊会(むらさきのごりょうえ)で、今宮祭の起源といわれています。そしてその時に、京中の人々が綾傘に風流を施し囃子に合わせて唄い踊り、神輿に供して船岡山に登り、病魔のよれる人形を難波江に流したといわれており、これが後の夜須礼(やすらい祭)へとつながる人々の安寧への願いだったそうです。

今宮神社の本殿西側に、出雲(いずもの)国で八岐大蛇(やまたのおろち)を退治したといわれる「素戔嗚尊(すさのおのみこと)」《「古事記」では須佐之男命とかく》を祀る「疫社(えやみしゃ)」があります。これも疫神と何か関わりがあるのかも知れませんね。