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千年の時を超えて滔々と流れる宇治川の中州に浮かぶ「中の島(塔の島と橘島)」と、左岸にある「よりみち公園」の総称を「京都府立宇治公園」と呼び、4月上旬には「宇治川桜まつり」が行われる桜の名所です。また、11月下旬から12月の上旬には紅葉が見られるなど、季節ごとに移り変わる風景を楽しめるところでもあります。
すぐ近くには、藤原氏が極楽浄土をこの世に具現化しようとした、「平等院鳳凰堂」(世界遺産)があります。「平等院」は藤の名所でもあり、桜のシーズンが終わる頃には「うす紫色」の藤の花が甘い香りとともに美しく咲きます。
「京都府立宇治公園」の周辺には、日本最古の神社建築の「宇治上神社」(世界遺産)や日本で最も古い橋とされている「宇治橋」などもあります。
そして、このあたりは『源氏物語』の舞台にもなっており、「宇治橋」には嫉妬に狂った女が鬼になった『橋姫伝説』というものがあります。
歴史的にも大変貴重な地域なので、貴重な建造物や文化、伝説などが数多くあり、一度にすべてを紹介することができませんので、今回は散歩をしながら見た様子だけを紹介します。
紫式部『源氏物語』の舞台
『源氏物語』は主人公の光源氏を通して平安時代の貴族社会を描いた作品で、平安時代中期に紫野式部によって書かれた日本最古とも伝わる長編小説です。
物語は54帖からなり、第45帖から第54帖までを『宇治十帖』といい、この部分は光源氏の死後の物語で薫大将を主人公とし、宇治が主要な舞台として描かれていて、最後の巻54帖で語られる『夢浮橋(ゆめうきばし)』は「宇治橋」のこととされています。
宇治橋
「宇治橋」は、646年(大化2年)に奈良「元興寺」の僧「道登」によって架けられたと伝えられている日本で最も古い橋で、「瀬田の唐橋」「山崎橋」とともに日本三大古橋の一つとされていています。
古くからある大きな橋には「外敵の侵入を防ぐ」といった意味合いから、守護神として『橋姫』が祀られることが多く、「宇治橋」にも中央に出っ張った「三の間」と呼ばれる『橋姫』が祀られていた頃の名残があります。
宇治の橋姫伝説
『橋姫』は日本の伝承に現れる女性(鬼女・女神)で、とても嫉妬深い神様だともいわれています。『宇治の橋姫』は『源氏物語』の第45帖で語られていますが、それより古い『古今和歌集』や『平家物語』に登場し、嫉妬深い女が夫の不倫に激怒して鬼になったといった伝説が記されています。
嵯峨天皇の時代(809~823)ある嫉妬深い女が、夫が愛人を作ったのに怒り、貴船明神に祈願し、お告げ通りに百日間宇治川に身を浸し、生きながらにして鬼になりました。
そして憎い夫と愛人を取殺し、その後も男女を問わず取殺すので、橋姫として神社に祀ったという伝説。
”平家物語”の要約
宇治公園
宇治橋を後にして宇治川の堤防を上って行くと「宇治公園」との架け橋、「橘橋」と「喜撰橋」が見えてきます。このあたりは、京都の嵐山と並び「鵜飼」で有名なところです。
このダムから上流が「鵜飼」が行われる場所で、流れが急な下流に比べ、水面は鏡のように静まりかえって見えます。これは、「鵜飼漁」を行うために水量や水流を計算して作られたダムがあるためです。
橘橋(たちばなばし)
水面が鏡のように「橘橋」を映し出しています。この橋を渡った中州が「橘島」で、中ほどに「宇治川先陣之碑」が建っています。
橘島「宇治川先陣之碑」
宇治川の戦いは、木曽義仲と源義経という源氏同士の戦いで、勝利したのは義経でした。
このとき、義経の麾下であった梶原景季と佐々木高綱が乗馬のまま渡河を競ったという出来事にちなんで建てられたのが「宇治川先陣之碑」です。
「宇治川先陣之碑」は1931年(昭和6年)に建てられたものですが、実際には現在の宇治橋よりもさらに下流であった出来事であるとされています。
朝霧橋(あさぎりばし)
「宇治川先陣之碑」のすぐ近くにある朱色の欄干の橋が「朝霧橋」で、ここを渡ると日本最古の神社建築「宇治上神社」に行くことができます。
喜撰橋(きせんばし)
「橘橋」を超えて更に上流に向かうと「喜撰橋」が見えてきます。このあたりは、毎年7月の初めから9月末まで「鵜飼」が行われる水域で、左岸には「宇治川鵜飼船のりば」があります。
鵜飼
川面に映る松明の明かりと鵜匠(うしょう)の巧みな技を見ながら、屋形船で料理を頂くのは優美なものです。宇治市環境協会のWebサイトによると「乗合船は当日受付となり、ご予約は承っておりません」と書いてあるので、気の向いたときに家族や友人と「鵜飼」を楽しむのもいいのではないでしょうか。
営業時間や観覧船の料金などはこちらのサイトに詳しく書かれています➡宇治市環境協会
塔の島と喜撰橋
「塔の島」に架かる朱塗りの橋が「喜撰橋」で、橋の向こう側に見える石の塔が「十三重石塔」で国の重要文化財に指定されています。
塔の島「十三重石塔」
塔の島には、ひときわ目立つ高さ約15mの「十三重石塔」が建っています。この塔は国内最大の古石塔で、鎌倉時代後期に奈良・西大寺の僧「叡尊」が魚の霊を供養するために造立したとされていて、「魚霊供養塔」ともいわれています。
現在の塔は1908年(明治41年)に再建されたもので、1286年(弘安9年)に建てられた「十三重石造大塔」は1756年(宝暦6年)の大洪水によって流されたそうです。
塔の島「鵜の飼育小屋」
塔の島には「鵜の飼育小屋」があり、野生から飼いならしている「ウミウ」と、ここで生まれた「ウミウ」を分けて飼育していました。
鵜飼に使われる「鵜」は「ウミウ」という渡り鳥で、野生の「ウミウ」は神経質な鳥のため、飼育下では産卵すらしないといわれていましたが、ここ宇治では平成26年に、日本で初めての人口孵化に成功したそうで、その後も毎年ヒナが誕生しているそうです。
ここで生まれた「鵜」は「ウツティー」と呼ばれ、羽をバタバタさせて愛嬌を振りまきます。
飼育員の方が小屋を掃除中でしたので、野生の「ウミウ」と「ウツティー」について尋ねてみると、野生の「ウミウ」はかなり攻撃的で飼いならすまでが大変だそうです。
それに対して「ウツティー」はペットのようで、鵜匠を本当の親と思っているようだとおっしゃっていました。
鵜飼漁とは?
「鵜」は喉が袋状になっているのが特長で、魚を鵜呑みにするといった習性を使った漁が「鵜飼」で、鵜匠は「首結(くびゆい)」(首にくくり付ける紐)の締め具合で、大きな魚は首で止まり、小さな魚は首を通って鵜が食べられるようにするそうです。
それはそうですよね! いくら飼育した「鵜」でも、飲み込んだ魚を全部吐かされていたら魚を獲ろうとはしませんよね。
飼育小屋の横で見かけた大きなアオサギ
飼育小屋のまわりでは、野生だと思われるアオサギが餌をさがしているようでした。綺麗な姿のアオサギは小学生くらいの背丈があり、とても大きいのですが人なれしているためか、手の届くような距離まで近づいても攻撃的になることも、逃げることもありませんでした。
しかし飼育員によると、「驚かすと攻撃してくることがある」とのことでしたので、近づかないようにした方がいいようです。
まとめ
今回は京都「宇治公園」の周辺を散歩しながら見つけたものをそのまま紹介しましたが、平安時代の貴族が別荘地の一つとして選んだ場所ということもあり、見どころはまだまだありそうなので、季節が変わればまた改めて紹介したいと思っています。