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京都市北区の「船岡山」は標高111.7m、面積2万5千坪の小山で、平安京朱雀大路の北の延長線上に位置し、平安京の遷都にあたっては、北方の守護神(四神の玄武)になぞられ、造都の基準点であったともいわれています。
現在の船岡山は風致地区に指定されており、その一角に織田信長公を祀る建勲神社があります。そして、東参道から本殿の方向に向かうと、拝殿手前の階段の横に手水舎があり、その裏側に人知れず「船岡妙見社」という社があります。
地元民でも知る人が少ない「船岡妙見社」は、平安京の遷都に由来する四神の一つ「玄武大神」を祀る社なのです。立ち入り禁止に指定された森の片隅のため、近くに行くことはできませんが、社の手前に盛り上がったところがあり、いかにも土の下に玄武が眠っているのでは? と感じます。
気のせいかも知れませんが、この場所はどこか他と空気が違う気がします。
「船岡妙見社」手前の立札には、以下のように記されています。
船岡妙見社
船岡妙見社は船岡山の地の神、玄武大神を祭る。
今より千二百余年昔、平安建都に際し
風水が相される船岡山は大地の生気の
ほとばしり出る玄武の小山と卜され、ここを
北の基点として平安京が造営された。
玄武信仰は古くから広く行われ宝永四年
(1707年)発行の「霊符縁起集説」に
「玄武神は亀なり北方に鎮り諸厄を祓い救う。
玄武は今の妙見菩薩にして童形なり、水の神にして
宅神なり、病魔退散の神なり」と見える。
船岡妙見は船岡山の地の神として諸厄消除
万病平癒、家宅守護の御神徳が讃えられている。
いる。平成十一年吉辰
建勲神社 宮司
玄武(げんぶ)とは中国古代の想像上の動物(霊獣)で、五行説(古代中国の自然哲学)や四神相応(中国や韓国における風水学)では北方を守護する水神とされています。姿は脚の長い亀に蛇が巻き付いたように描かれることが多いのですが、胴体が亀で頭が蛇という説もあります。
玄武(げんぶ)のイメージ
四神相応の都
平安京は四神相応の都といわれ、その形状は、背後に山、前方に海や池などの水が配置された、背山臨水(はいざんりんすい)の地を、左右から砂(さ)と呼ばれる背後の山より低い山や丘で囲まれたものとされています。そして東西南北を守護するのが四神といわれています。
- 東の守護神:青龍(せいりゅう)、蒼龍(そうりゅう)
- 西の守護神:白虎(びゃっこ)
- 南の守護神:朱雀(すじゃく)
- 北の守護神:玄武(げんぶ)
観光者向けに、四神相応の都をめぐる「京都五社めぐり」が人気になっていますが、船岡山の建勲神社は五社の中に入っていません。
京都五社めぐりとは、東の蒼龍(八坂神社)、西の白虎(松尾大社)、南の朱雀(城南宮)、北の玄武(上賀茂神社)の四神、そして中央の平安神宮を入れて五社としているのです。
どれも京都観光で有名なところですが、これは本来の五社とは違う気がします。
玄武神社
船岡山(建勲神社)を東に行くと、第五十五代文徳天皇の第一皇子、惟喬(これたか)親王が御祭神の「玄武神社」があります。
「玄武神社」はその昔、境内の小池に亀が多く放育されており、別称「亀宮」ともいわれていたそうで、社号の「玄武」は四神の一つ「北の守護神の玄武」であるとされています。
まとめ
今回は観光案内に載っていない、平安京の遷都に由来する四神「玄武」を紹介しました。京都の有名なところを観光するのも楽しいことですが、たまには地元民でも知る人の少ない、京都の歴史に触れてみてはいかがでしょうか。
すると、本当の京都を知ることができるかも知れません。