陰陽師「安倍晴明」が祀られている晴明神社と周辺の不思議な話し

Language:English

映画「陰陽師」とフィギアスケートの羽生結弦のおかげで世界的に有名になった京都の晴明神社。実はここ、地元京都では「名付け」で有名な神社です。私と息子(男2人)も「晴明神社」で名前を頂きました。

そんな事もあってか、何もない時に「ふと思いだし」足を運んでしまう事があります。先日も天気が良いので外に出かけようと、あてもなく市バスに乗り下車したのが晴明神社。

古くから不思議な言い伝えがあり、お参りすると良い事が起きる晴明神社を紹介します。

Seimei Shrine

安倍晴明の像Abe no Seimei statue

魔除・厄除の桃Troublesome peach

御神木Shinboku

晴明神社

毎年、秋分日前夜から秋分日に執り行われる「晴明祭」もコロナの影響で、神職のみの神事で済まされたようです。そんな状況下なので、休日のいい天気にも関わらず参拝者はまばらでした。

Precincts

晴明神社は平安時代中期の陰陽師である安倍晴明をお祀りする神社で、社殿の場所は阿部晴明の屋敷跡に位置します。創建当時は、東は堀川通、西は黒門通、北は元誓願寺通、南は中立売通ととても広い敷地だったそうです。そして、現在の晴明神社から堀川通を挟み南東の方向には一条戻橋があります。

map

安倍晴明

阿部晴明は、朱雀天皇から一条天皇までの6代天皇の側近として仕え、その間に唐(中国の王朝)で「陰陽五行」を学び、後に「陰陽道」を確立させたといわれています。

阿部晴明には「陰陽道」で身に付けた不思議な力があったようで、境内に掲げられている顕彰板「安倍晴明公 逸話集」がこれらを表しています。

Anecdote (1)

Anecdote (2)

Anecdote (3)

Anecdote (4)

Anecdote (5)

Anecdote (6)

Anecdote (7)

Anecdote (8)

Anecdote (9)

Anecdote (10)

陰陽五行

「陰陽五行」とは、中国の春秋戦国時代に生まれた自然哲学の思想のことで、宇宙に存在するすべてのものを説明できる思想のことで、現在の自然科学を指します。

陰陽五行で用いられる下図は物質(木・火・土・金・水の5つの元素)の働きの相克を表しています。

Ying Yang Five Lines

そしてこれが基で作られた晴明神社の社紋が、黄金比で模られた星のマーク。五芒星(ごぼうせい)といい、あらゆる魔除けの呪符とされています。

五芒星は世界中で魔術の記号ともいわれ守護に用いられています。
そして、上下を逆さまにしたものが逆五芒星。悪魔の象徴、デビルスターと呼ばれ、秘密結社フリーメイソンのエンブレムにも使用されています。

鳥居の神紋Shrine crest

晴明井
Abe no Seimei's Well

陰陽道

陰陽道(おんみょうどう、おんようどう、いんようどう)とは、日本の律冷制(りつりょうせい)における、国家機関で教えられていた占い・天文道・歴道のことで、日本独自で発展を遂げた呪術や占術の技術体系を指します。

陰陽師

陰陽道を究めた者が「陰陽師」で、平安時代中期には特別の地位が与えられていたようです。

陰陽師(おんみょうじ、おんようじ)は、古代日本の律令制下において中務省の陰陽寮に属した官職の1つで、陰陽五行思想に基づいた陰陽道によって占筮(せんぜい)及び地相などを職掌とする方技(技術系の官人。技官)として配置された者を指す。

引用:ウィキペディア

一条戻橋

一条戻橋は、晴明神社の南東方向の堀川(堀川通に沿った川)に架けられた橋で、幾度も架けかえられ、現存する橋は平成7年の架けなおされたものです。晴明神社の境内には当時使われていた橋の部材を使ったミニチュアがあり、その横には「式神石像」が置かれています。

現在の一条戻橋
Ichijo-Modori Bridge

境内に再現された一条戻橋
Miniature of Ichijo-Modori Bridge

式神石像

「式神」とは、陰陽師が使う精霊で、人の目には目えないそうです。安倍晴明がこの地に住んでいる頃は、一条戻橋の下に封じ込められており、渡る人を占っていた(橋占)と伝えられています。

Shikigami

阿部晴明の奥様が怖がったので、橋の下に封印したらしいのですが、「式神」が見えた奥様も陰陽師だったのでしょうか。

確かに、夜に見たら気味が悪いですね。

橋姫伝説

古くからある大きな橋には、外敵の侵入を防ぐ橋の守護神として「橋姫」が祀られていますが、平家物語に登場する「橋姫」は宇治橋と一条戻橋です。

一条戻橋の「橋姫」伝説は晴明神社の顕彰板に書かれています。

摂津源氏の源頼光に仕えていた四天王の一人、渡辺綱が頼光に一条大宮へ遣わされた帰りのこと。

一条戻橋で美女に出会い、「五条まで帰りたいが、夜が更けて心細いので送ってほしい」と頼まれ、家まで送る事になった。

美女は途中で鬼女に姿を変え、綱の髻(もとどり:チョンマゲの事)を掴み上げ、乾の方へ飛ぶ。綱は、宝刀の「髭切」を抜いて鬼の腕を切り落とす。綱は北野天満宮の回廊に落ち、鬼は愛宕山へと飛び去った。

その後、鬼は綱の養母に化けて綱の屋敷を訪ね、斬り落とされた片腕を奪い取っていった。

“平家物語”の要約

このとき、鬼の腕を切り落とした「髭切」が源家重代の刀と伝えられる日本刀で、この時から名を「鬼丸」と改められた。

その後、「髭切」は、夜に獅子が鳴くような声で吠えたので「獅子の子」。人が触れてもいないのに「子烏」という名の刀を2分ほど切り「獅子の子」と同寸にしたことから「友切」と名を変えた。

源家重代の刀が「髭切」から名変えてから敗戦続きだったので最終的には元の名前に戻したそうです。

「髭切」の所在は不明ですが、仮託される日本刀は北野天満宮が所有する重要文化財、鬼切丸(髭切)があり、今年の3月~5月まで公開されていました。

千利休

あまり知られていないのですが、茶人で有名な千利休の屋敷が晴明神社の境内にあったのです。そして、豊臣秀吉の逆鱗に触れたことにより切腹を命ぜられ、梟首にされた場所が一条戻橋です。

Sennorikyu Mansion Ruins

晴明神社の界隈には、お茶の総本山の大徳寺や三千家(表千家、裏千家、武者小路千家)など、お茶に関わるところが集中しています。

タイトルとURLをコピーしました