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京都市北区(西陣)に位置する今宮神社は「玉の輿」の語源でもある桂昌院(別名:お玉)が復興させたことで知られ、重要無形民俗文化財に登録されている「やすらい祭」が行われる神社でもあります。
そんな今宮神社の南参道にある大鳥居が、平成29年(2017年)10月の台風で損傷を受け、長らく撤去されていましたが、5年の歳月を経て再建されました。
この鳥居は、今宮神社の南参道の端に位置し、船岡山に通じる歴史的にも重要な通りに建っています。また90年以上もこの地に建っていることから、地元民の間では西陣の守り神の象徴である今宮神社の入り口として親しまれ、早期の再建を待ち望んでいました。
境内に掲示された立札には、宮司さんの大鳥居再建に対する熱い思いが書かれています。
平成29年(2017年)10月の台風による損傷
事の始まりは台風による被害で、詳細は以下の通りです。
京都府内に甚大な被害をもたらした、平成29年の台風21号により鳥居が南側に傾き、このまま放置しておくと危険だと判断した神社は、南側から筋交いで支えるという応急措置をほどこしました。
そして、翌年(2018年)には、相次ぐ大型台風の接近などで改修計画が前倒しになり、同年8月に解体撤去工事が行われ鳥居の姿がなくなりました。
解体といっても再建が目的のため、部材をひとつずつ丁寧に分解しなければならないこともあり、10日間もかけて行われたのです。
解体工事は、社寺建築を専門とする匠弘堂さんによるもので、解体工事の様子は以下のホームページで紹介されています。
解体された鳥居は御旅所(北大路新大宮を南)に保管され、台座は残して銅板の屋根が付けられひとまず完了です。
今宮神社境内に置かれている損傷した鳥居の柱脚
今宮神社境内の中ほどのには、損傷を受けた鳥居の柱脚が置いてあります。100年近く持ちこたえた柱は、今では手に入らないだろうと思えるほどの太さがあり、地上に出ていた部分は、まだまだ使えそうなほどしっかりとしています。
下の写真は2022年11月に撮影したもので、埋設されていた部分が腐っているように見えますが、解体直後はこれほどの傷みはありませんでした。
令和4年大鳥居復旧工事
大鳥居の復旧工事は、令和4年9月5日(着工)~同年11月19日(完成)の約7か月余りの期間で、10月24日と25日の2日間で鳥居の建方が行われました。
施工業者さんの話によると、地中には水道管やガス管が密集していて、空中には高圧線が通っているなど、厳しい条件が数多くあったそうです。
鳥居の建方たてかたの様子(10月24日)
待ち望んでいた鳥居が建つ喜びと心配からか、今宮神社の宮司さんが、ほぼ1日立ち会われていらっしゃいました。近くの理髪店の店主や喫茶店のオーナー、近隣住民など、多くの人が見守る中で鳥居が組み上がっていきます。
柱は、柱脚部分が損傷していたため、全体長さの1/4程度を鉄骨に置き換え、ベースプレートが溶接してあります。重量は3トンほどあるそうで、建方には50トンレッカーが使用されました。
架空線が密集している間を縫って、見事に東側の柱が建ちました。
次はレッカーで吊り上げた貫を足場の上に一旦あずけて、チェーンブロックで高さを微調整しながら手作業で柱の「ほぞ」に入れていきます。西側の柱を建てるスペースを確保しなければならないので、やり送りをしなければなりません。
広い場所ならともかく、真横に民家があり、架空線を縫って建てなければならない場合、2本の柱を先に建ててしまうと、貫が通せなくなります。
狭い場所での建方、実に上手い!
2本の柱を建てて貫を所定の位置にセット。今日の作業は額束と楔を吊り揚げたら終了のようです。
鳥居建方の様子(10月25日)
今日は、昨日の続きで、島木と笠木をセットする作業ですが、架空線がいっぱいです。笠木の重さが約2トンだそうで、今日は架空線に配慮して25トンレッカーを鳥居の北側にセットするそうです。
笠木が乗った瞬間、見学していた人が「拍手」。感動の瞬間です。宮司さんも、いつの間にか近くに来られていたので「やっと完成しましたね。近隣の人たちが待ち望んでいましたよ」と声をかけると、「そう言って頂けたら・・・」と嬉しそうでした。
これで、最大のイベントは終了です。
足場の解体と亀腹かめばらの設置
11月4日に足場の解体が始まり、シートで覆われていた大鳥居の全容がはっきりと見えます。
柱脚部の亀腹とその下の石は既存のものです。
令和4年(2022年)11月19日大鳥居再建
大鳥居の周辺では、京都市による道路工事(水道と排水路)が行われていますが、11月19日をもって「今宮神社大鳥居」が再建できました。
鳥居とは
そもそも神社にある鳥居とは何なのか。神と人間の俗界を分ける結界で、神の領域への入り口が鳥居といわれています。しかし、なぜ鳥居というのかは不明だそうで、学者の間でも結論が出ていないそうです。
【鳥居の語源、由来といわれるもの】
- 鳥説:「鳥」が居るところ
- 参道説:「通り入る」が変化したもの
- 神話説:天照大神の天岩戸神話に出てくる長鳴鳥の止まり木
鳥居が、神と人間界を分ける結界とするなら、京都伏見稲荷のように千本鳥居にはどんな意味があるのでしょうか。(余談ですが、伏見稲荷の鳥居の数を数えようとした友人がいて、実際に数えてみると途中で分からなくなったそうですが、確実に2千本以上はあるそうです)
鳥居の形式
鳥居の形式を大別すると、「神明鳥居」と「明神鳥居」に分類されます。
直線・直角とシンプルなフォルムの鳥居が「神明鳥居」で、今宮神社の大鳥居のように、最上部が島木と笠木の二層構造の鳥居が「明神鳥居」です。
以下が今宮神社の鳥居(明神鳥居)の各部位の名称です。
鳥居はなぜ朱色なのか?
鳥居でおなじみの朱色を建造物装飾の言葉では丹塗りといいます。
丹塗りの材料になっている「丹」は、鉛に硫黄と硝石を加えて焼いて作った鉛の酸化物です。主成分は四酸化三鉛で、建設業界では「鉛丹、光明丹」と呼ばれ、鉄骨のさび止めに使用される「鉛丹錆止めペイント(JIS K 5622)」がこれにあたります。(※ 毒性が強いことから、新JISの規格から外されています)
伝統的な社寺が赤く塗られてきたのは、魔除けや神性を表す視覚的な意味のほかに、丹鉛には腐食と害虫から建造物を守る役割があったからなのです。
近年、鉄骨などの錆止めとして使われる「鉛丹」は、主に刷毛や吹付によるものですが、伝統的な丹塗りは木材に施すものであるため、その工程は大きく異なり、均一に仕上げるには熟練した職人技が要求されます。
【丹塗りの工程】
- 掻き落し:古い塗装を、へら等の道具によって丁寧に削り取る
- 下地処理:砥の粉や刻苧で傷んだ部分や虫食い穴の補修、並びに礬砂の塗布
- 丹鉛仕上げ:鉛丹の粉を膠水で溶いた丹で塗り上げる。
【用語の解説】
- 砥の粉:粘板岩および頁岩の風化作用により生成される超微細な粒子状の粉
- 刻苧:おがくず(木の粉や繊維くず)を漆で練ったもの
- 礬砂:膠とミョウバンを混合した水溶液
伝統的な丹塗りは、現代の塗装に比べ何倍もの手間暇がかかりますが、本来あるべき姿に修復するためには必要なことです。
まとめ
今宮神社と氏子の熱い思いから再建を果たした大鳥居は、損傷が激しかった柱脚部分を除いて、昭和3年に奉納された部材を再利用しています。工事は創建当時と違い、交通量が多く埋設管や高圧電線が間近にある場所でしたが無事に完了しました。
地元の人達からも「完成して良かった」「鳥居があると落ち着く」などの声が聞こえてきて、あるべきものが戻ってきたという感じがします。
鳥居という建造物を建築という観点からみると、創建当時の状態を再現しようとする伝統的な職人技があったからこそ再建できたものだと思います。現場だけでは見えない、さまざまな苦労があったと思われますが、このような伝統技術は次の世代に伝え残していかなければならないと強く感じています。