感じる。幸せを感じる。自分の行動を変えていくと「感じる」のも。いままで見えなかったものが見えてきます。
人間の五感って自分でわかっているようでわかっていない。そして五感で感じると、その上の次元。第六感が働き始める。
五感は一般的に「視覚」「聴覚」「触覚」「臭覚」「味覚」と言われているが、実際はそれ以上にあるように思います。
例えば「言語覚」(私が考えた造語)は古来より「言霊」といわれ人間の無意識の中で働く感覚ではないだろうか。
感覚は自分自身が選択して感じることが出来るのです。そして選択して感じたことはそのまま自分の魂に影響を与え自然と選択した方向に進んでいくのです。
無意識の中で働く力は自分で選択することができる。そいて無意識を高めるのは「人間力」を高めることでもあるり、心を磨くことではないだろうか。
幸せを呼びこむ「三猿」
幸せを呼び込むのは「人間力」。すなわち、感覚を磨いて心を磨くことだと感じています。
なかでも人とのコミュニケーションツールである「視覚」「聴覚」「言語覚(造語)」を磨くと人が幸せを運んで来てくれます。
日光東照宮には「悪い行ないを自然だと見るな」、「悪い方に導く言葉を聞くな」、「理由もなく悪く言うな」という教えの「見ざる、聞かざる、言わざる」の三猿が有名ですが、私は自分なりに「不見・不聞・不言」の教義をアレンジしました。
見ざるは「美しいものを見る」
見ざるは「見るな」という意味ですが、これを美しいものを見るに置き換えると、悪いものが見えなくなります
芸術品や自然の風景など、見るだけではなく、体で感じとると「感覚」の次元が上がります。
聞かざるは「いい言葉やいい音楽を聴く」
聞かざるは「聞くな」という意味ですが、これを心地よく感じる言葉や音楽に耳を傾けるに置き換えると、人の悪口や気分が悪くなる雑音が聞こえなくなります。
言わざるは「幸せになる言葉を発する」
言わざるは「悪い言葉を発するな」という意味ですが、これを幸せを感じる言葉を発するに置き換えると、必ず人は集まってきます。
人が集まるということは、幸せを運んで来てくれることなのです。
いかがでしたか?
この「考え方」は幸せになれる「はじめの一歩」だと思うのですが。