「ゲシュタルトの祈り」はメンタルを強くする魔法の呪文

magic spell

他人からどう見られているのか?

こんなことを言えば(行うと)嫌われるのでは?

等々、何かと人目を気にする習慣。

これは、協調性を持つことでトラブルを防止したいという気持ちと、人に認められたいという承認欲が重なった精神状態だといえます。

自分らしく生きたい、でも人との調和も大切。「人は人、自分は自分、個性があってしかるべし」だと思っていても、ふとした出来事で落ち込んでしまうことってありますよね。

そんなあなたに贈りたいのが「ゲシュタルトの祈り」という魔法の呪文(詩)です。「人と意見が合わない」「うまく折り合いがつかない」など気がめいった時に読んでみてください。

きっと、「自分は自分のままで良いのだ」と思えるようなポジティブな気持ちになりますよ。

【ゲシュタルトの祈り】

私は私のために生き、あなたはあなたのために生きる。
私はあなたの期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない。
そしてあなたも、私の期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない。
もしも縁があって、私たちが出会えたのならそれは素晴らしいこと。
出会えなくても、それもまた素晴らしいこと。」

この詩は、ドイツの心理学者フレデリック・パールズ(1893~1970年)がローラ夫人と共に創設した「ゲシュタルト療法」で使われる「祈り」で、一般的によく知られている日本語訳です。

「ゲシュタルト療法」とは、あるがままの現実を受け入れて、変えることができることとできないことを区別することが大切であり、自分自身を受け入れ勇気をもって行動すると新たな道が開けるというものです。

それでは「ゲシュタルト療法」についてみていきましょう。

ゲシュタルト療法

loving relationship

ゲシュタルト療法は、フリード・パールズによって1930年代に開発された心理療法の一種で、人間の心の問題に取り組むためのアプローチです。

ゲシュタルト療法の主なアプローチは、人間の体験を全体的に理解することです。これは、「ゲシュタルト」という言葉が示すように、物事を全体的に見ることを意味します。このアプローチは、個々の問題や症状を分解し、それぞれに対処するのではなく、その全体像を見ることによって、人間の心の問題を解決することを目指します。

実際に行われる療法は、セラピストがクライアントが自分自身を見つめ、自己を理解するための安全な環境を提供し、クライアント自身の成長や問題解決を達成するのを支援します。

セラピストは、さまざまな方法を使ってクライアントをサポートしますが、自己の理解を深め、自己成長を促進するのはクライアント自身です。

要するに、クライアントに気付きを与え、心の問題を自己解決させるというものです。

ゲシュタルトの意味

「ゲシュタルト」という言葉は、ドイツ語で「形態」や「全体像」を意味します。ゲシュタルト療法は、この言葉に基づいて、人間の心の問題を解決するために、全体像を見ることの重要性を強調します。人間の体験や問題を単純に要素に分解して解決するのではなく、その全体像を把握し、全体像を理解することが問題解決につながると考えています。

ゲシュタルトの祈り

prayer

「ゲシュタルトの祈り」は一般的に、フリードリッヒ・ゼルバー(フリード・パールズと、ともにゲシュタルト療法の創始者)によって書かれたとされているようですが、実際には作者が存在せず、著作権のないパブリックドメインのテキストとして広く使用されています。

この祈りは、一般的に以下のように表現されています。

「私は私であり、あなたはあなたであり、私があなたであることも、あなたが私であることもありません。もし、私があなたに何かを与えることができるのであれば、それは自由であり、自己責任においてのみ行われます。もし、あなたが私に何かを与えることができるのであれば、それは喜んで受け取ります。それ以外の場合は、互いに平和に別れましょう。」

この祈りは、ゲシュタルト療法の原理である「今ここにあるもの」、「自己責任」、「人間関係の尊重」といった概念に基づいています。この祈りは、自分と他者との関係を尊重し、自分の欲求や責任を自覚することを促すものとして広く用いられています。

この表現を祈りとするなら、願いは以下のように置き換えることもできるのではないでしょうか。

  • 私は、何かを変えることができるものと、変えることができないものを区別する勇気を持ちたい。
  • 変えることができるものを変える勇気を持ち、変えることができないものを受け入れる勇気を持ちたい。
  • そして、この二つを区別する知恵を持ちたい。
  • 私は、常に今を生き、現実を直視し、勇気を持って行動することができるように、力を授けてください。

ゲシュタルトの祈りの原文

【ドイツ語】

“Ich will mich nicht länger quälen mit der Frage, ob etwas richtig oder falsch ist, gut oder böse, wertvoll oder unwert, sondern ich will mich entscheiden und dann die Verantwortung für meine Entscheidung übernehmen.

Ich will mich nicht mehr fürchten vor Veränderung, sondern sie begrüßen als das Leben und das Wachsen.

Ich will mich nicht mehr fürchten vor dem Unbekannten, sondern offen sein für das, was kommen wird, mich darauf einlassen und daraus lernen.

Ich will nicht länger in der Vergangenheit leben und mich quälen mit Erinnerungen, die ich nicht ändern kann, sondern sie als Teil meiner Geschichte annehmen und daraus lernen.

Ich will nicht länger die Zukunft fürchten, sondern ihr vertrauen und bereit sein, ihr zu begegnen, wenn sie kommt.”

【日本語訳】

「私はもはや、何が正しいか、何が間違っているか、何が価値があるか、何が無価値か、といった疑問に苦しむことはない。自分で決め、その決定に責任を負うことを選びたい。

私はもはや、変化を恐れず、それを生きることと成長することとして歓迎したい。

私はもはや、未知を恐れず、将来に開かれ、それに応じて学びたい。

私はもはや、過去に生きて思い出に苦しむことはなく、自分の物語の一部として受け入れ、学びたい。

私はもはや、未来を恐れず、それを信じ、それに直面する準備ができた。」

一般的に知られている言語の違う「ゲシュタルトの祈り」

一般的に知られている「ゲシュタルトの祈り」は、ゲシュタルト療法の哲学に基づいた原文を分かりやすく表現したもので、ドイツ語や英語に翻訳したものがあります。

【ドイツ語訳】

“Ich bin ich und du bist du.

Ich bin nicht in dieser Welt, um deinen Erwartungen zu entsprechen.

Und du bist nicht in dieser Welt, um meinen Erwartungen zu entsprechen.

Du bist du, und ich bin ich,

Und wenn wir uns zufällig treffen, ist es wunderschön.

Wenn nicht, kann es nicht helfen.”

フリードリッヒ・ゼルバー訳とされている

【英語訳】

“I do my thing and you do your thing.

I am not in this world to live up to your expectations,

And you are not in this world to live up to mine.

You are you, and I am I, and if by chance we find each other, it’s beautiful.

If not, it can’t be helped.”

フリッツ・パールズ訳とされている

一般的によく知られている日本語訳を冒頭で紹介しましたが、他には日本の心理学者である國分 康孝(こくぶ やすたか)が翻訳したものがあります。

私はこの日本語訳が好きで、常に目に留まるように会社のデスクマットに挟んでいた時期があります。

【日本語】

「われはわが事をなさん。汝は汝の事をなせ。

わが生くるは汝の期待に沿わんがために非ず。汝もまた我の期待に沿わんとて生くるに非ず。

汝は汝、われはわれなり。

されど、われらの心、たまたま触れ合うことあらば、それにこしたことなし。

もし心通わざればそれもせんかたなし」

国分康孝訳

まとめ

「ゲシュタルトの祈り」はメンタルを強くする魔法の呪文のようなものです。祈りと題していますが、それはシンプルな詩であり、さまざまな言葉で表現されています。そして、その表現方法の違いはゲシュタルト療法の哲学を理解したうえで、いかに人の心を打つかと工夫されているように思えます。

「ゲシュタルトの祈り」と題された詩、そのものはシンプルなものですが、ゲシュタルト療法の哲学と照らし合わせて深く考えると、仏教の教えに通じるところも多くあります。

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すべての現実をあるがままに受け入れ、変えることのできることとできないものを知る。そのうえで自分の考えを持ちつつ他人を理解すれば、今まで以上に人間関係が好転します。

「ゲシュタルトの祈り」の効果的な使い方は、自分の心に響いた表現のものを常に目の見える場所に置いておくことです。そして1日に1回、目にするだけで不思議と人間関係が好転します。まさに魔法の呪文です。

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