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五感で感じる「出来る人」とは。安岡 正篤の「三識」を学ぶ。

出会った瞬間、なかなかの人物と感じることがあります。

これはメールやweb会議ではわからない、その人から出ている独特の雰囲気なので実際に会わないと感じ取ることができません。

人はそれぞれ、今ある事実を独自の基準(善と悪。許せる、許せない。好き、嫌い。〇〇であるべき。等)で判断して、心地よく感じたり不快に思ったりするのです。

まだ言葉の使い方が上手くない子供たちは、それを全身で心を表現しますが、

大人になれば人に内面を見られたくない思いから体での表現を避けようとする。

しかし、無意識のうちに何らかの反応が出てしまうのです。

例を挙げると、自分が「好き」と思っていっる人は好意を持ってくれますが、「嫌いな人」は相手もいいようには思っていないといった現象が起こるのは無意識にでる体の反応を相手が察知するからです。

心理戦を特微とするポーカー(トランプ)でさえ相手を手玉に取ることは困難。まして普段の状態で、いくら取り繕っても周りの人は本音を感じ取っているのです。

話し方や文章が上手な人はたくさんいますが、実際に会って会話をすると本音は見えるもの。

達人(「できる人」「できた人」)の雰囲気は長年の生き方で備わった人格。

そんな達人になりたい。

安岡 正篤(やすおか まさひろ)の教え「三識」

私が私淑する思想・哲学家の一人、「安岡 正篤」先生の教えに「三識」(知識・見識・胆識)があります。

私は、この教えを「知識=やる人」「見識=できる人」「胆識=できた人」といった感覚で捉えていますが、安岡先生の教えはもっと深い意味があります。

知識とは

知識とは本を読んだり、講義を受けたり、勉強で養う事ができるもので、何事も知識がなくては始まりません。

人格を磨くことだけに限らず、今やっている仕事や趣味についても勉強するべきで、できるだけ幅広く深く学ぶことが個人のオリジナルに繋がります。

見識とは

見識とは現実の複雑な事態に対する判断力のことで、現実を分析し「知識」をもって判断する力のことで、官僚や大学教授、経済学者などが挙げられます。

彼らは非常に優秀ですが、評論家になれても経営者(リーダー)にはなれません。

胆識(たんしき)とは

胆識のある人とは、学者ほどではないが「知識」と「見識」を持ち実践的な判断力のあることで、習得するのは難しいものです。

困難な現実にぶつかった場合に、あらゆる抵抗を排除して、断乎として自分の所信を実践に移していく力のことで、実践で潜り抜けた修羅場の数に比例して力がついてくるものだと思います。

日本電産㈱のCEO、永守 重信氏が掲げる「必ずやる」が胆識を磨く精神。

「人格を磨く」ことに終わりはないが、一歩ずつ進みたい。