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今宮神社の東参道には「一和」と「かざりや」という「あぶり餅」のお店が向い合せに建っています。あぶり餅は厄除けの菓子ともいわれ、平安時代から伝統の味を受け継いでいる日本最古の和菓子とされています。
紅葉が見頃を迎えた早朝の東参道の様子。向かって右が「一和」さん、左が「かざりや」さんです。
朝早くは、参拝に訪れる人たちも少なく落ち着いた雰囲気ですが、お昼を過ぎると参拝する人も増え始めあぶり餅屋さんの前に行列ができます。
あぶり餅は、きな粉をまぶした親指ほどのおおきさの餅を竹串にさして、炭火で焼いたものを京都ならではの白味噌ベースのタレにつけていただく餅菓子です。
きな粉の焼ける香ばしい香りを感じながら、歴史ある町屋造りの軒下でいただくあぶり餅は、参拝者たちの交友の場でもあり、日本の古き良き時代を思い起こさせます。
京都に住んでいると、遠方から遊びに来る、友人・知人から京都の観光案内を頼まれることも多く、京都人ならではの知られざる名所を案内しているのですが「はんなり」とした京都らしいこの場所を外したことはありません。
あぶり餅の歴史
あぶり餅の歴史は驚くほど古く「一和」の初代「一文字屋和助」が、香隆寺(京都市北区にあった真言宗寺院)の名物だった「おかちん(勝餅)」を今宮神社に奉納したのが始まりだとされています。
「一和」さんの創業は長保2年(1000年)、平安時代からある日本最古の和菓子屋さんで「かざりや」さんは寛永14年(1637年)、江戸時代の創業という驚くほどの歴史があります。
今宮神社とあぶり餅(厄除けの菓子)
今宮神社は、長保3年(1001年)に疫神を鎮め祀るために「紫野御霊会」 が修せられるとともに、船岡山の神輿を今宮神社に遷し祀ったのが創祀とされています。
今宮神社の創祀と「あぶり餅一和」の創業はほぼ同じで、当時のあぶり餅に使われていた竹串が神社に奉納された斎串であったため、厄除けの菓子と呼ばれているそうです。
今宮神社の厄除けといえば、毎年4月の第2日曜日に行われる「やすらい祭」という京都で最も早くに行われる祭があります。
京の三奇祭の一つとされる「やすらい祭」は今宮神社創祀のころから行われている疫神を鎮めるための祭であり、桜や椿などで飾られた「花笠」に入ると、1年間健やかに過ごせるといわれています。
地元では、やすらい祭の日には花笠に入り、あぶり餅を食べると、1年間は厄除けができて健康で過ごせるとされているのです。
向かい合う「あぶり餅」の味の違いは
初めて訪れる人にとっては、味の違いが気になるようで「どちらが美味しいの?」と聞かれます。
「一和」さんのほうが焼きが強くて香ばしく「かざりや」さんほうがタレが甘めな傾向にあるのですが、その違いは微妙なもので、どちらを頂いても間違いなく美味しいと感じるはずです。
そもそも「あぶり餅」は古くから受け継がれてきたレシピのない伝統菓子であり、素材を存分に生かした素朴な味は、季節や天候などによっても微妙に味が違うものです。それが手作りの良さなので、気になる方は食べ比べをしてみるというのも一つの楽しみ方ですね。
あぶり餅「一和」
「一和」さんの店舗は『今宮神社東門へと続く参詣道の通り景観の形成に重要な建造物である』として京都市の景観重要建造物に指定されています。
店舗は複数の建物が密接しでいて、古い建物は元禄年間、新しい建物でも大正時代のものだそうです。また、店内に入ってすぐの中央には、平安時代からのものとされている直径3mもの大きな井戸があります。
この井戸は現在も使われていて、お店の方にお願いすれば見せてもらえます。
あぶり餅「かざりや」
「かざりや」さんは創業400年近くであり、その佇まいに歴史を感じます。
こちらが比較的新しいお店の入り口で、中に入るとすぐ傍に「水琴窟」があります。
この水琴窟には弁天様がお祀りしてあり、ひしゃくで水をかけると弁天様が奏でる琵琶のような美しい音色が聞こえてきます。
さいごに
今宮神社周辺には大徳寺を初め、応仁の乱で西陣が城砦を築いた船岡山があります。そして、船岡山の東側の一角には、織田信長公を祀る建勲神社があり、その境内には伏見稲荷大社の親神とされる稲荷社など、歴史的に重要なところが多くあります。
また、今宮神社周辺は時代劇に欠かせない撮影場所でもあり、運が良ければ好きな役者さんに会えるかも知れません。
今宮神社の所在地
〒603-8243
京都府京都市北区紫野今宮町21
門前菓子「あぶり餅」のお店、「一和」と「かざりや」は東門を出たところにあります。