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「慧光寺のイチョウの巨木」と「京都らしい街なみの大国町」

通りすがりに見つけたイチョウの巨木!天気の良い昼下がり、通ったことのない路地を歩いていると空高くそびえ立つイチョウを発見。

慧光寺のイチョウの巨木

この辺りは京都市内で唯一空襲をうけた西陣の一角。周辺には高い建物が少ないのでイチョウを目指して歩いていると、慧光寺(えこうじ)というお寺の境内にイチョウの巨木が見事に紅葉している。

目測ですが高さは15m以上(5階建てマンションほど)、幹の直径が1.5mほどある巨木。これだけの巨木でありながらすべての枝が奇麗に育っている。実に見事!

イチョウには雄と雌がある

奇麗に紅葉しているのに「ギンナン」が落ちてない!なんで?

イチョウには雄と雌があるそうで、片方だけだと「ギンナン」は出来ないそうです。慧光寺のイチョウは雄なので「ギンナン」は出来ないようですね。

その昔、西向の浄福寺にはイチョウの雌の木があったそうで、季節になると慧光寺のイチョウが花粉を放ち受粉することで「ギンナン」が沢山収穫できたそうです。

慧光寺(えこうじ)

慧光寺は戦国時代末期の天文年間(1532年~1555年)創建。野本式部少輔輝久(13代足利義輝の家臣)の正室伊佐が夫の菩提を弔うため自ら剃髪して妙法尼と号し、屋敷を寺に改めたのが始まりです。寺名は輝久の法名「慧光」から付けられました。

本堂は江戸時代中期の享保15年(1730)に火災で焼失、その後再建されています。

三門を入った正面が「七面堂」で七面大明神(法華経の聖地「七面山」に住む大明神)が祀られています。七面大明神は「七面天女」「吉祥天」「弁財天」とも呼ばれ眼病平癒の御利益があるとされています。

慧光寺では明治時代頃まで秘伝の目薬を製造して販売していたそうですよ。

所在地:京都市上京区浄福寺通り一条上がる笹屋町1丁目562-5
交通:市バス「今出川浄福寺」または「千本中立売」から徒歩で3分

京都らしい街なみの大国町

慧光寺を後にして浄福寺通りを10分程度北に歩くと、京都らしい景観の石畳に舗装された道(全長:200m、道路幅:平均5.5m)があります。

中ほどには古くから縁結びの神、授乳・子育ての神として信仰されてきた「岩上神社」の御神体といわれる巨石が残っており、社も作られている。

大国町は「大国町まちづくり協議会」の要望により平成12年に景観対策の一環として浄福寺通りを石畳化されました。通りには手描き友禅や水墨画の工房、刺繍作家のアトリエなどが並び、財団法人手織技術振興財団のミュージアム「織成館(おりなすかん)」は「じゃらん」でも紹介されています。

また平成20年の冬にはJR東海が、西陣・大国町の街並みが京都の織物の歴史と自信を伝えるとして「そうだ京都、行こう」のキャンペーンポスターにもなっています。