ストレスに対抗する方法は、ストレッサー(ストレスの原因)から離れる事と、ストレスを乗り越える。この二つの方法しかない!
他人の目を気にせずに「戦う」or「逃げる」を自分で決めたら良い。他人はあなたのために戦ってはくれない。
ストレッサーから離れるのは「逃げる」ことだが、「卑怯」なことではない。つい最近、野生のクマが街に来て人を襲う事件があった。あなたは遭遇したクマと戦いますか?これは「No」だろう。これと同じで力が及ばないものからは「逃げるが勝ち」が正しい。もっというなら「クマに勝ってどうする?」意味がない。
ストレスを乗り越えるのは「戦う」ことを指し、達成した時に何が得られるか判断して決めること。戦いに勝って、欲しくもないものを手に入れても無駄なだけ。戦うからには「目的」を持て。
「戦う」のか「逃げる」のか
「戦う」のか「逃げる」のかを判断するのは、自分本位でかまわない。「戦う」と決めるときは「愛するものを守る」「欲しい物を手に入れる」に限られる。無駄な戦いは疲れるだけ。
欲しいものがあり「戦いたいけど戦えば負ける」と判断した時は「一旦逃げる」が正しい。今は勝つだけの実力がないのだから勝つための準備をする。この準備は努力でしかない。
「戦う」ための準備
「戦う」のも「逃げる」のも自分の判断だが、強く生きるためには準備はしておくべき。
戦っても逃げても、命まで取られることは無いだろうが、仕事を失う覚悟は必要だ。勝てば良いが「負ける」こともある。逃げて体制を立て直したいこともある。再構築できるまで時間が必要だが生活費が無ければ再構築することも出来ない。
自分らしく強く生きるために「一年間の生活費を確保する」は必須。
「負け」を受け入れる
どう頑張っても「負け」を認めなければならないことは「最愛の人の死」、これは受け入れる他に手段はない。素直に受け入れていち早く精神的に立ち直る他ない。故人もきっとそれを望んでいる。
これについての対象法はない。しかし愛すべき大切な人には、普段から愛情と感謝の気持ちで接していれば少しは救われる。
補足
この考え方は自分の心の中に仕舞っておいて、着々と準備を進めることで、表面に出す必要はない。むしろ出さない方が良い。決して「戦い」を好んでいる訳ではないが、他人から見ると攻撃的に見られてしまう可能性がある。
この記事は、下記の記事を書いていて気付いた事に基づいた私の考えです。