かつて戦争があった時代は「戦争は正しい選択で、勝利こそが自国を救う」といった考え方を強制的に国民に植え付ける「洗脳」が行われてきましたが、現在では人権を無視するような強制はできないまでも、学校教育・メディアなどを通してマインドコントロールしているのは紛れもない事実です。
私たちは子供の頃から教育を受けています。そして、教育の延長上で教え込まれる世界観や価値観は避けようのないマインドコントロールであり、日本国民としての共通の世界観を持たせるために、国家を挙げて行っています。
日本人に日本人としての共通の世界観や価値観を持たせることは、国家の発展において大変重要なことですが、国の都合のよいように国民を誘導するといった洗脳に近いものまで含まれていることを知っておく必要があります。
ほとんどの国民は、身近な新聞やテレビなどのメディアの報道が真実であると思い込んでいますが、政府は政策を進めやすくするために、メディアを通して国民を都合よく誘導しようとしている事実があるため、鵜呑みにするのは危険だといえます。
その中でも政治・経済・歴史などの分野では、政治の都合で国民を納得させたいという理由から、真実をひたすら隠しながら同意を得ようとします。
この場合、何かを達成するといった目的が先にあり、理由は後付けになるため報道そのものが歯切れの悪い表現になってしまいます。
勘の鋭い人であれば「辻褄が合わない。何かがおかしい」と気づきますが、メディアの報道は真実だと洗脳されてしまっている人たちは、このような疑問すら持てなくなっているのです。
学校教育やメディアでは本当のことを知ることはできません。真実を知りたければ、すべての情報について独自で調査して事実であることを確かめなければならないのです。
事実を突き詰めるのは大変骨の折れることですが、戦争にもなりかねない世界情勢と、第二次世界大戦直後の借金を超えるような赤字の日本にしてしまった政治を考えると、これからの社会では自分の身は自分で守らなければ生きていけない時代になってきているのではないでしょうか。
洗脳とマインドコントロールの違い
そもそも洗脳とは、戦争で敵に捕らえられた捕虜たちに、強制力を用いて思想や主義を根本的に変えさせるという意味で使われていた言葉で、現代に置き換えると、人に何らかの恐怖を与え精神的に追い込むことで、今まで持っていた世界観や価値観を変えさせるということになります。
一方、マインドコントロールは、権威があることを盾に信頼を得て、徐々に人を支配していくものです。
厳密には言葉の意味に違いがありますが、「恐怖心を持たす」か「騙す」かの違いで、どちらも人を思い通りに操ることを目的にしていることに変わりはありません。
民主主義国家における洗脳は「恐怖」と「親切」を巧みに使い分けながら人を誘導しようとしているので、以下「洗脳」で話しを進めて行きます。
教育と洗脳の違い
教育も洗脳も教えを説いて、人をある方向に導くものですが、根本的に大きな違いがあります。
教育は教えを授かる人の利益になるように人を導くのに対して、洗脳は教えを説く人の利益になるように人を導くことです。
教育で得られる利益は、教えを説く人に「信頼」や「尊敬」などの利益をもたらし、教えを授かる人にも様々な利益をもたらします。
一方で洗脳は、教えを説く人の都合に合わせて扱いやすい人にするためで、教えを授かる人には何も利益がありません。
国家による教育という名の洗脳
国家は国民で成り立っています。そして、より良い国にしていくには国民を教育しなければなりません。そのために国を挙げて教育制度を作り社会全体に行き渡るようにしているのが義務教育です。
教育は人に学問や技能を教えるものですが、同時に世界観や価値観も植え付けることになります。ある意味、洗脳といえるのですが、まだ自分の世界観や価値観のない人間にとっては、今後の人生においての判断の基準を得るためと考えると必要不可欠であるともいえます。
教育で植え付けられる世界観や価値観は、国家にとって都合の良い国民を作り上げるこという目的も含んでいることを知っておく必要があります。
独裁国家と民主主義国家の違い
国民を洗脳するといった観点から見ると、独裁国家も民主主義国家も、同じように国家の都合の良い世界観を植え付ける教育(洗脳)をしています。双方の違いは、国家権力と人権のどちらを重んじるのかといった、強制力の差だけです。
独裁国家を外部から見ると「国民は洗脳されている」と簡単に見分けることができますが、内部にいる国民からすると「国家の導きは正しい」と信じ込んでいるひとも多く、「洗脳されている」と気づいた人でも「国家の考えに逆らうことはできない」と諦めてしまうしかないのです。
一方、民主主義国家は個人が国家に対して自由に意見を述べてことができるので洗脳はされていないと感じているかもしれませんが、国ごとに特有の国民性があるということは、国ごとに特有の国民性があるということは、国ごとに特有の教育という名の洗脳が行われているということです。
日本に自殺者が多いのは洗脳と同調圧力のため
洗脳された人が増えると「同調圧力」が生まれます。
人は洗脳されると何らかの価値観をもつことになり、同じように洗脳されて同様の価値観を持った人が一定以上になると、その中に協調性が生まれ、間違っていることでも正当化して、その価値観を広げようとします。
これが「同調圧力」で、自分と違った価値観を持った人を批難し、ことによっては集団で個人を攻撃するような「いじめ」に発展する場合があります。
大きな目的を果たすためには協調性は大変重要な役割を持っているのですが、自分の考えを持たずに、安易に同調してしまうと思わぬ方向に進んでいく可能性があり危険だといえます。
このような現象は、日本のような協調性を重んじる国民でよく見られ、個人を重んじる欧米の人たちからは「不可思議」と思われています。
【早く飛び込め】
ある豪華客船が航海の最中に沈みだした。船長は乗客たちに速やかに船から脱出して海に飛び込むように、指示しなければならなかった。
船長は、それぞれの外国人乗客にこう言った。
- アメリカ人には「飛び込めばあなたは英雄ですよ」
- イギリス人には「飛び込めばあなたは紳士です」
- ドイツ人には「飛び込むのがこの船の規則となっています」
- イタリア人には「飛び込むと女性にもてますよ」
- フランス人には「飛び込まないでください」
※日本人には「みんな飛び込んでいますよ」
引用:世界の日本人ジョーク集
このジョークは欧米では有名で、日本人の集団心理を表現しているものですが、この心理こそが日本人が教育という名の洗脳で植え付けられた「協調性」だといえます。
「協調性」は「同調圧力」を生み出すため、国家にとっては統制がとりやすく、社会の発展にも重要な役割を果たします。
しかし、この「同調圧力」は権力を持たないけれども強制力があるため、集団による個人攻撃が正当化される恐れがあります。
私見ではありますが、日本で「うつ病」などの精神疾患や自殺者が多いのも「同調圧力」が原因の一つだと思っています。
自分の意志で真実を見極める
前述の通り、私たちは生まれた直後から何らかの教育を受け、それとともに世界観や価値観を植え付けられています。そして義務教育が終了する頃には、ある程度の人格が出来上がり、自分の考えを持つようになるのですが、その考え方は教育と洗脳によりつくられたものであるため、本当の意味での「自分の考え」ではありません。
本当の意味での、自分の世界観や価値観を見出すには、学校のような国家のカリキュラムに沿ったものではなく独自に学び視野を広げる必要があります。
物事の考え方には必ず反対の考え方があるもので、学べば学ぶほど迷うこともありますが、そのうちに本当に正しいと思えるものに出会うことができます。
学びの方法は人それぞれですが、すべての事に疑問をもち自分が納得できる答えを見出すことです。
【自らが持つべき疑問の例】
- 今まで学んできたことが世界的に見ても正しいのか?
- 今受け取っている情報は、本当なのか?コントロールされたものなのか?
- 自分が正しいと信じていることについて反対の考え方は?
まとめ
人が人であるために教育は必要不可欠なものですが、同時に国家の都合の良い世界観も植え付けられます。そして、世の中は「こういうものだ」という共通の常識をもった人格が出来上がります。
共通の常識は、自分は世の中の人たちと同じであるというもので、自分の存在を小さく感じさせ、成功の可能性をも否定してしまいます。
多くの人は、このような状態であるため、いつの間にか国家や資本主義社会の上流にいる人たちに都合よく利用されているのです。
このような状態から抜け出すには、自らの意志で真実を見極め、本当の意味での「自分の考え」を持たなければならないのです。