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余命2年を宣告された私!まだ生きている

「まだ死ね分けにはいかへん‼ せめて、子供が就職するまで生きたいねん」

二人の子供はまだ高校生、大学にも行かせてやりたいし!「あと6年行きなあかん!!」

余命2年の宣告は妻にも告げず、9年たった今「生きている‼それも、めちゃ元気やねん」

神様に生きろといわれたのか?生かされたのか?「本当に感謝しています」

定期検診も必要がなくなり、以前より健康体になった私。これから何をするべきか「天命」を探っています。

事の発端は2012年の春

春先、快晴の空もと桜の花が満開の日。
突然、血圧が上がったせいか強烈なめまいで倒れた。病院で診察を受けたが問題が見つからなかったため、様子を見ることに。

そして、その年の夏頃には青信号の間に横断歩道を渡り切ることが出来なくなるほど歩くのが困難になった。「どうした!しっかりしろ!」

何か体に異常があるはず。しかし、どこの病院で検査を受けても問題は見当たらない。でも、そんなはずはない!「足が動かない。歩けない」

大きな病院で診てもらおうと、某大学病院に駆け込んだ。

入院、そして恐怖で病院脱走

入院初日、病室に入る前に健康診断のような一連の簡単な検査。

心電図の検査技師から「心拍数が30bpmです。これで動いている人を初めて見ました。大丈夫ですか?」すぐに車椅子が用意された。

病室に入ると担当医から「病室から一人で部屋から出ないでください」と外出禁止ではなく部屋から出るなと言われ、買い物にも出られない始末。まるで独房。

入院してからは、結構辛い検査の連続でしたが、「これで原因がわかる。原因が解れば治る」と信じて我慢していました。

そうしてる間に、だんだんと容態が悪化して全身に力が入らない。歩くこともできないし、ペットボトルの蓋も開けられない。さすがの私も恐怖を覚えた。「目の前が真っ暗」

ある日の真夜中、看護師さんに叩き起こされた。私には何が起こったのか・・・・?

私の脈拍を常時監視していたナースセンターの装置から異常信号が。「心臓が止まっている!!」

自覚症状は無いものの、幾度となく心臓が止まることがあった。「夜が怖い。寝るのが怖い!」
映画の「フレディ・クルーガー」を思い起こす毎日。

【医師から検査結果の説明】余命2年

sick-room

全身の細胞の中にあるミトコンドリアが機能しなくなってきている。
もう少し詳細な検査が必要なので、専門分野に転科しましょう。

それから心臓にはミトコンドリアを多く含んだ細胞が多いので「ペースメーカー」を装着します。

説明を聞いているうちに恐怖が湧いてくる。「良くても、ペースメーカーを装着した一級身体障碍者。悪ければ死ぬのか・・・・・!」

【最後に医師から】

はっきりとはわかりませんが、いままでこの状態から復帰した人はいません。
2年程度もてばいい方かもしれませんね。

何がなんだかわからない、思考が停止状態だ。とりあえず逃げよう‼

混信の力を振り絞り、動かない体を何とか動かす。必死で歩く。逃げる‼「そうだ、退院しょう」

止める医師たちを振り切り逃げるように退院した。

あと、2年で死ぬ!? 家族には話せない。

何としても生きなければ‼

治療方法がないなら自分で治す

後のことを何も考えず、逃げるように退院した私は「体が動かなくなってくる。寝てしまうと二度と目が覚めない。」恐怖と不安で神経がボロボロ。

ここまで追い込まれると、死ぬことに恐怖を感じなくなっていました。

頭の中は「家族はどうなる?葬式の出し方も解らない子供を残せない」で一杯。

何とか治さなければと「食事」の見直しと「運動」をすることにした私は、とりあえず何でも食べること、多少の無理をしても動く。

歩く練習からストレッチ、徐々にできることを増やしていく。(メチャメチャしんどかった)

「せめて6年。何とかなるか?」と思えてきたころ、次は強烈な眠気に悩まされることになった。

何時でも何処でも強烈な睡魔に襲われ、道を歩いていても眠気で立っていられない。24時間のうち18時間から20時間は寝ていたと思う。

「やっぱりダメか!」

病院に逆戻り

自力で治すことに限界を感じ、同じ病院に再入院することになった。

入院中も極度の睡魔に襲われて眠り続けていたので殆ど記憶がありませんが、治療に使われていた薬は「麻薬系」であったことだけ覚えています。

2013年の春、おおよそ1年の月日を経て退院。

完治したわけではないので、月に一度の定期検診。

2013年の春、仕事に復帰。そして8年目

余命2年の不安を抱えたまま仕事に復帰したが、体調は万全ではない。

出来る限りの運動を心がけていたが、リハビリ程度。食事は、とりあえず何でも沢山食べるようにしていたので、体脂肪率は30%を超えていた。これでは余命2年どころか合併症を起こし、すぐに死んでもおかしくない。

そして始めたのが「ウェートトレーニング」

ジムに通い始めたころは、運動どころかストレッチエリアで寝てしまたり、サウナに入って帰るが精一杯。

生きるため必死に探り持ってトレーニング。食事も変えて、1年で体脂肪率を10%になった。

その後、定期検診もいらなくなり完全な健康

トレーニングの成果もあって若返った気がする。

大切な気づきが3つ

男は仕事「やらなあかん」「負けたらあかん」・・・・・・・。

「あかん」は「あかんようになる」だけ。何と戦ってきたのか?戦う必要があるのか?間違った考え方だと思う。

大切なことは「楽しくする」。なんでも楽しくすれば上達する。

私にとっての大事件で、気づいたこと

1. 愛情。 愛情は一方通行でもよい。もらうより与える方が幸せ。
2. 
健康。 運動と食事で健康な体の維持。何事も楽しむ健康な心。
3. 
感謝。 いつも誰かに支えられて生きている。

病院の先生を初め看護師さん他、大変お世話になりました。
心より感謝いたします。

家族へのメッセージ

これは「ブログ」と言うより子供へのメッセージ。

本当に仲の良い家族ですが、改まって難しい話はしたくありません。自分たちに子供が出来て家庭を持ったときの参考にしてくれたらそれでいい。

「親の意見となすびの花は千にひとつも仇はない」ということわざがあるが、親も人の子。間違いはある。

鵜呑みにすることなく、何が正しいか自信で判断することが大切です。

人生「楽しく生きる」も「苦しむ」のも自身の考え次第。どうせなら「楽しく生きる」ほうがいい。

こんな状況から完全復帰できたのは「家族の愛情」だと思う。

人は一人では生きられない。家族、仲間の愛情を大切に。

Daruma

プロフィールの「だるま」の意味はわかりましたか。

人には必ず死ぬときがやってきます。せっかく生まれてきたのだから楽しく生きるのがなによりです。