地獄の底から体の芯に響くような「トン!」というう音。窓から見ていたヨットハーバーの海の水が一斉に引いて海底が見える。ヨットのセンタボードが海底に突き刺さる。
立ちすくんだまま、どのくらい時間が過ぎたのだろう?
次の瞬間、この世のものとは思えない高さの波が押し寄せてくる。海底に落ちていたヨットが一気に持ち上がり、一瞬にして流されていく。
10年前、復興支援事業で共に協力し合った人が、ヨットハーバーのオーナー室の窓から見ていた光景だ。
海面より20m以上高い位置から見ていたので本人には被害はなかったのですが、いまだにその光景が脳裏から離れないそうです。
復興支援活動
私が所属している会社は、小規模ながら日本全域に関わる仕事をしている関係で、支店もあれば、お客様もいらっしゃる。
社員とその家族の安否確認が急がれる。
当時、私が設計した建築物が石巻の海岸付近の物件で、現地の担当者が工事打合せに行っている。
電話を掛けるがつながらない。心配すること3日間、何とか無事なことがわかり一安心した。
救援物資の運搬
阪神淡路大震災の時と違って、現地の状況はメディアで映像配信されているので状況はよくわかる。
支援の物資を早急に届ける必要がある。
近くのスーパーやホームセンターで食料品(レトルト)、カセットコンロ、水・・・・・を調達、2tonトラックに支援物資を積み込んで、第一部隊が福島に向かう。
行先は、ただ福島というだけで詳細な場所はその時は解らない。自社の災害対策本部が行政と連絡を取り合って第一部隊に指示を出す。
何とか被災地にたどり着いた支援部隊は、避難所に支援物資を届けることが出来た。
第一部隊はその後しばらく、情報収集のために避難してきている現地の人達と一緒に生活をすることになった。
食事は配給で1食分がペットボトル500ccの水とおにぎりが1つ。お腹が減って動けない。
トラックには自分たちが持ち込んだレトルト食品も沢山あるのだが、避難してきている人たちを見ていると、抜け駆けは出来なかったそうです。
インフラの緊急整備
現地を復興するには、建設機械がいる。消防・警察・自衛隊が活動するにも車を走らさなければならない。発電機にドラム缶に入れた燃料では賄えない、急がれるのは電気と燃料(動力源)だ。
私は、事態が少し落ち着いてからインフラ整備のため現地入りしたのだが、震災に遭った地域の状況はテレビで見ているよりひどいものでした。
建築・消防などの庁舎もなく、即席で作ったプレハブ小屋で現地の議員や職員と相談。
公共の書類も公文書も流されて何もないなかで、どの場所に何を作るのか。
書類がないから現地を見て歩くしか方法がない。
京都・福島・東京と何回往復したことか、この支援事業に1年程の時間がかかりました。
被災地で見たもの
自分の目で見た現地の様子はテレビの映像では伝えきれない想像を絶するものです。
被災に合われた人たちの避難生活も相当なものです。
しかし、行政の部隊(議員・自衛隊・消防・警察・事務方)を初めボランティアの人達の活動は目を見張るものがありました。
震災以来、言われている「絆」は被災に合われた人たちと復興に尽力した人が体で感じっとった感覚です。