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少し考えを変えるだけで会社が楽しいと思えるようになりました

月曜日の朝「あ~~。今日からまた一週間」俗に言う「サザエさん病」誰もが経験したことがあると思います。

私はある日を起点にこの状態から完全に脱出しました。周りの状況は一切変わらないのに今では「つらい」が「楽しい」と思えるようになりました。

会社はお客様と思い一線を引く

当時、私は社運を賭けた新しい事業を企画しており、それを実行に移す時期でもあった。
そしてそのプロジェクトの責任者として任務を遂行していたのですが、要所では重要な決断が必要になります。

決定権のない私は、会社に進むべきみちを幾つか用意してメリットとリスクについて説明を行っていましたが、事業の大きさに怖気づいて結論が出てこないのは理解できますが、事業の内容も理解せずに「なんぼ儲かる?」を連呼する会社。

要するに、ノーリスクハイリターンを望んでいるだけで「金!金!金!」でウンザリ。

確かに会社を存続するためには「お金」は必要不可欠。営利会社なら当然なことですが、それ以前に会社を存続する価値。すなわち世の中に貢献し人々から存続して欲しいと思ってもらえる会社でなければ価値はありません。

こういった不甲斐なさが嫌になり会社を辞めてしまおうと思ったのですが、私が手を離せばこの事業が頓挫する事は明白でした。

そこで思いついたのが会社と一線を引くこと、「私はコンサルタントで会社はお客様」と考えてそれを実行しました。

考え方を変えると周りが変わる

今も以前と同様に通りにプロジェクトの責任者をやっているのですが、「会社はお客様」と考えることで視点が変わり物事が「客観的」にみられるようになりました。

以前は責任者として物事を「主観的」にとらえ自分が「当事者」で権限以上のことを何とかしようと考えて行動していました。

それを会社はお客様と考えて「客観的」な立場から、「会社の社会における価値」「ノーリスクハイリターンなどあり得ない」「会社が進むべき道は役員一同が真剣に考え責任をもって決断すべきである」など今までと違った観点でアドバイスができるようになりました。
そして、会社もアドバイスを真摯に受け止め、自身の事として真剣に取り組むようになったと感じています。

この現象は、「会社が主であり従業員は従である」といった考えが根底にあり、従業員に対する甘えだと思います。

この例は、私が大きなプロジェクトを企画・実行している強い立場であるために会社と対等のスタンスをとることができる特殊な状況ではありますが、このプロジェクトが無くても信念と誇りと責任を持てば誰もができると信じています。

経営者と従業員は対等

マルクスの資本論はいかがでしょうか?これには、資本と労働力について書かれており労働から生み出される剰余価値といった概念があり、時代によって労働者をどのように確保したか書かれている。是非読んでみてください。

当然の事ですが、従業員がいなければ会社は成り立たない事実は経営者と従業員が対等であることを証明しています。

しかし権利だけを主張する従業員がいることも否定できません。会社だけでなく個人も社会に貢献できているか?収入に見合うだけの価値があるか自身に問いかけてください。

給料をもらうために会社に勤めている人は全く価値がありません。

 

 

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